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2017年5月13日土曜日

切籠切窓

山口県の長門峡の下流はそのまま阿武川ダムに流れ込みます。
生雲川との合流点近くに「切籠切窓」という岩がそそり立っているのですが最近その由来が正確に伝わらなくなっています。
切籠という岩と切窓という岩があるというのがその代表的なものですが、事実はシンプルです。
その昔、この岩の上にはさらに岩が乗っていてこの岩には驚くべきことに窓状に穴が開いていたのです。
また、岩自体に溶岩の性質からか直交した割れ目が籠を思わせるように見えていたので「切籠切窓」という名称になりました。

大変分かりにくい写真ですがダム水没を機に整備された阿武川歴史民俗資料館に資料があります。
現在の岩の上部にさらに岩が乗っていたのが分かります。
この奇岩を景色として愛でるための寺が切籠切窓と川を挟んだ田中義一の菩提寺である発昌寺ですが現在は荒れ寺です。
切籠切窓崩壊の日付は分かりませんでした。
2009年にはすでに窓はありません。
どのように窓になっていたかはトンネル上部の岩で想像できます。
資料によると右が切籠で左が切窓となっています。
実際はこの角度で写真は撮れないので下の感じです。

これが切籠ということになります。

2017年3月30日木曜日

宇治上神社

2017年3月10日に朝も早くから京阪本線でまた南に向かったのですが今度は宇治です。
8時に宇治駅に着いていますが平等院の門が開くのは8時半なのでまずは宇治上神社に行きます。
宇治上神社は現存する最古の本殿といわれる世界遺産です。
見慣れた神社とかなり形式が異なるので背景の山や横の岩が御神体かもしれません。
これが天降岩とか岩神といわれる石です。
隕石ではなさそうです。
盛砂で知られる拝殿も国宝です。

おそらく、元々は鳥居もなかったと思われますし、神社の前に川を配し橋を渡って神域にはいるのも伊勢を思わせます。
手水舎もなく湧水に小屋掛けがしてあります。
定型から外れた神社は何らかの理由を感じるのですが、ここは伊勢・出雲とも異なる古式を感じます。
近くだと松尾大社や遠くだと出雲御室山の布須神社みたいな感じです。

参拝の上で気を付けなければいけないので別に「宇治神社」もある点です。
こちらも重要文化財ですが宇治上神社よりも平等院に近いので勘違いがありえます。

2015年5月23日土曜日

蘇民将来

伊勢市内を歩くと目につくのが注連飾りです。




伊勢の人が取り込み忘れちゃってるわけじゃありません。
蘇民将来伝説に基づき年中飾ってあります。
素戔嗚尊が一夜の宿を与えた蘇民将来を祝福したことに由来し、蘇民将来の子孫であることを示すのがこの注連縄です。
国産で三千円程度からのようです。
札は「蘇民将来子孫家門」「笑門」「千客萬来」があります。

2015年5月18日月曜日

お伊勢参り

伊勢神宮には1978年と1982年に行っています。
1982年の時は五十鈴川で禊し清掃奉仕で御垣内参拝しています。
衣装に条件があり鉢巻から靴にいたるまで白尽くめにします。
白尽くめは神職と同じですね
逆に黒尽くめの一団を伊勢神宮で見ることがあります。
正確には礼服ですが一般の参拝客が観光の格好なので非常に目立ちます。
礼服の一団は御垣内参拝の人たちで、御神楽奉納などを伴うことがあるのでそれなりの玉串料を収めます。
だから一族の慶事や会社の行事で使われることが多く「礼服の団体」になるのです。
地元の人が多いためか二拝二拍手一拝がかっこよく決まっています。
今回は私は単なる観光ですので礼服なんて持っていません。

伊勢神宮の参拝は外宮から始まります。
橋を渡って手水舎で清め、御正宮に参って境内別宮に参るのは外宮も内宮も一緒です。
外宮の御正宮の祀神は豊受大御神です。
ちなみに千木は縦削ぎで鰹木は奇数ですので通常は男神ですが豊受大御神は女神です。
内宮も女神なので対比をつけるために男神仕様になっています。
こちらは感謝を申し上げる場所で願い事をする場所ではありません。
そもそも賽銭をあげる場所ですらありません。
 境内別宮は土宮と風宮があります。
とりわけ多賀宮は豊受大御神の荒魂です。
お賽銭と個人的な願い事はこちらでどうぞ。
さらりと書いていますが作法は厳にあります。
まず、鳥居をくぐる前には揖という45度程度の軽い礼をします。
参道は中央を避け、外宮では手水舎が左にあるので火除橋から左側を歩きます。
内宮は手水舎が右にあるので宇治橋から右側を歩きます。
神前に至ったらまず一揖し二拝します。
拝は腰から90度折る深い礼です。
続いて二拍しますが拍も細かい作法では一旦そろえた指先を関節一個分右手を下げ打ちます。
これは手をずらした方がいい音が出るからです。
神前では左右対称が基本ですから二拍の後は指をそろえて祈ります。
祈る際は内容の前に住所氏名を添えるのが正しいそうです。
祈りの後で一拝し退く際に一揖します。

外宮の後に内宮に詣でます。
片参りは避けたいものです。
内宮は右側通行です。
五十鈴川です。
今回は禊はしていません。

御正宮の祀神は天照大神です。
写真を撮っていいのは階段下までです。
和魂に御礼を申し上げます。
元来は天皇しか献饌できませんでしたから賽銭をあげるのは誤りです。
願い事は荒魂に詣でておこない、賽銭もこちらにします。
おとなしく行列していますが横一列になっても全く問題ないそうです。
遷宮を繰り返すので伊勢神宮には意外なほど国宝が少ないのです。

2015年5月14日木曜日

東大寺盧舎那仏

東大寺の大仏は盧舎那仏はサンスクリット語のVairocanaによる毘盧遮那からきています。
「世の中をあまねく照らす」という意味だそうです。
ストロボの光を浴びているのは大仏の方で、撮影が許されている仏像なのです。
他に撮影ができるのは飛鳥寺ぐらいしか知りません。
撮影が許されない理由は様々です。
  • 仏の魂が抜かれる。
  • 観賞の対象ではなく信仰の対象である。
  • ストロボの光で傷む。
  • 他の参拝者の邪魔。
  • 絵葉書やポスターが売れなくなるから。
大仏様なら多少のことでは魂が抜かれることはないでしょう。
押し寄せる外国人に撮影禁止を求めるのに疲れたのかもしれません。
三脚等は使用禁止ですから他の参拝者の邪魔は許されていないということでしょう。


頭髪は螺髪というもので一つ一つがクルクル巻きになっています。
直径18センチで高さ30センチなので60キログラムもあるでしょうか。
額の白いのは白毫というこれもクルクル巻きの白い毛なのだそうです。
今は黒いのですが元々は金メッキでピカピカでした。

国宝の大仏以外にも大仏殿には仏像があります。
左右には脇侍の如意輪観音と虚空蔵菩薩が控えています。

普通はこれで十分大仏です。
脇侍の沢の後ろの隅には広目天と多聞天がいます。
時間に余裕がある人は踏みつけている邪鬼まで楽しまます。
実は四天王なのですが持国天と増長天がいません。
予算不足で製作が頓挫しています。

2015年5月13日水曜日

東大寺大仏殿金堂

盧舎那仏が納められている大仏殿は仏教建築としては金堂になります。

大仏は752年の開眼から全高こそ変わらないのですが元禄の1692年のものが現在のものです。

最初の大仏殿は758年竣工なのに江戸時代の竣工は1709年と大幅に遅れています。
これは奈良時代が国家事業だったのに対し江戸時代は寄進によっていたこともあるのですが建造に必要な巨木が当時ですら不足していたのも原因です。
このため全高は変えられないもの建物の幅を3/4に縮小されています。
しわ寄せは柱にも来ており、一本の木ではなく集成された柱になっています。
従って釘とタガが見えています。
柱で有名なのは大仏殿右奥の柱の穴で、大仏様の鼻の穴と通称されるもので30センチ×37センチあります。
「通ると幸せになれる」という縁起物で開けている穴ではなく大仏の鬼門側にあるので邪気がたまらないように穴を開けたといわれています。

木は燃えれば失われますが石は残りそうなものです。
意外と改修の度に石も手入れしています。

甍の上で目を引くしゃちほこのようなものは鴟尾という縁起ものです。
魚の尾を意味しており水により火災から守られることが目的です。
唐招提寺のものもよく知られています。

軒を支える構造は斗組(ますぐみ)などといいます。
荷重を分散する工夫といいます。

軒の先に下がるのは風鐸という巨大風鈴です。
これが鳴る風は相当なものだと思います。

唐破風の下には扉があり日頃は閉じています。
一般には年越しの時に開かれ中門から顔を拝むことができます。



2015年5月11日月曜日

東大寺大仏殿金銅八角燈籠

大仏殿は重要文化財の回廊の中にあり、回廊に入ったところで入堂券を手売りしています。
500円ですが東大寺ミュージアムとセットだと800円です。
大仏殿には国宝の表示がありません。
大仏である盧舎那仏はもちろん国宝ですが金堂である大仏殿も国宝です。
さらに大仏が坐ます須弥壇から発見された遺物の数々も国宝で、須弥壇から東大寺ミュージアムに移されています。
国宝なのにノーマークに近いのは大仏殿前の金銅八角燈籠です。
燈籠とは言いながら全高4.6メートルの金銅製としては現存最大のものです。

音声菩薩が彫られており1200年前からここに立っています。



環境の悪化で腐食が進んでおり、進行状況は鎌倉の大仏より悪いそうです。



2015年5月9日土曜日

東大寺という寺院

2015年4月30日に奈良の東大寺に行っています。
普通に考えれば大仏殿ですね。
実際は主要なものでも南大門、中門、金堂(大仏殿)、法華堂(三月堂)、二月堂、戒壇院も東大寺です。
寺宝を見るのなら東大寺ミュージアムも必須です。
建築物だけでも金堂(大仏殿)、南大門、本坊経庫、開山堂、鐘楼、法華堂(三月堂)、二月堂、転害門が国宝です。
その鐘楼にNHKの下請けが釘を打ったのは2003年のことで、しばらく大晦日の中継がなくなりました。
梵鐘も752年製の国宝で現役で使われています。
仏像を見るのなら法華堂は必須ですが日光・月光は東大寺ミュージアムに引っ越しています。
美術の教科書の常連の四天王塑像は戒壇院のもので1980年頃はなんと戒壇上から拝観することができました。
奈良に春を告げるのは二月堂のお水取りですがそれ以外のシーズンは展望台扱いです。
その実は最も謎めいた施設で24時間365日勤行が行われている祈りの寺で、大観音・小観音の2体の十一面観音は絶対秘仏で鎌倉時代後に開帳された形跡がありません。
夜の二月堂は提灯に明かりが入り空気感が異なる世界を作りますが中では勤行が続いていますので声を響かせてはいけません。
これらの堂宇の中で唯一写真を許されているのが金堂である大仏殿なのです。
写真を使って少し詳しく見てみましょう。