2015年2月15日日曜日

長府の守護の四王司山(392m)と勝山(361m)

 下関の長府を見下ろす四王司山は青山、勝山を従えた山容ですので勝山もついでに登ります。
 青山は頂上NTT施設のメンテナンス道があるのでパスしています。

 勝山は地区の名称でもあり、1970年ころは新下関駅あたりまでの広いエリアを勝山と言っていました。
 当時は穀倉地帯でカッパがいるとまで言われていました。
http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=196
 その実態は戦国時代に始まる絶対防衛線で戦国時代にはすでに大内氏の城があり、毛利家に追い詰められ最後に立てこもったのが勝山とされています。
 このため廓跡、井戸跡、石垣などが残っている歴史の山でもあります。
 勝山側の登山口にも江戸末期の御殿跡があり公園化されていますがこれは下関戦争で海に突出した串崎城が危険すぎるため急遽造営された城です。
 実は7世紀に白村江での敗北をうけ報復に備えて長門城というが築かれているのが日本書紀に記されていますが場所は特定されていません。
 西日本一帯に見られる神籠石が7世紀のものであれば長門城も山城と考えられるので勝山城が長門城の可能性もあります。
 城にするほどなのでかなり急峻です。

 勝山から尾根をたどった先にあるのが四王司山です。
 信仰の山でありその場合の正面は松小田側になり、ふもとに近い石鎚神社から登ることになります。
 石鎚神社の祭神は石土毘古神で高天原系なのに対し、四王司神社の祭神は保食神と大地主神なので土着系ですが867年(貞観9年)に朝廷から因幡・伯耆・出雲・石見・長門に贈られた毘沙門天も祭られています。
 仲哀天皇の殯宮である豊浦宮の北の守護が四天王のうちの多聞天=毘沙門天であるからともいわれます。
 毎年の初寅には深夜に祭りがあり3個の鈴の奪い合いがあるそうです。
 勝山が頁岩の暗い山なのに対し四王司山は花崗岩が多い明るい山です。

 2015年2月8日13:26に勝山御殿の駐車場を出発し→勝山14:10→鞍部14:41→四王司山15:15→展望岩15:21→勝山御殿16:00


駐車場から先は寺の境内なので基本的に乗り入れ禁止です。

 山頂に近い穴がある大岩
 人が楽に入れそうです。

勝山の山頂近くはかなり石垣などで無理して平地を作り郭にしていたようで意外と広いです。
青山の向こうが新下関ではるかに九州が続きます。

 勝山頂は北側になります。

 四王司山登攀途中に振り返りの勝山(右)と青山(左)

 四王司山神社
 肝心の毘沙門天は廃仏毀釈の折に市街の福仙寺に納められたとも聞きます。

 三等三角点四王司山

 展望台からの周防灘

 勝山御殿の駐車場
特に四王司山はおそらく毎日登っている人もいるんじゃないかと思えるほどです。

2015年2月9日月曜日

私的山登り序文

夏場の運動量は草刈りに依存しているのですがそのままではシーズンオフはデブリます。
そこで自転車をやるのですが冬になると寒くてつらいので山登りを始めます。
「冬に山とはいい度胸」とお思いかもしれませんが山口の山は概ね千メートル止まりで冬山というには失笑クラスなのです。
つまり亜高山帯にも届かないので夏は蛇は出るは蜂は出るは大型の獣に鉢合わせするはとハイリスクですし、汗だくで臭っさくなりがちです。
ハイキング程度の山ですので春先は山菜取りのおばちゃんと完全武装の縦走隊が入り混じります。
私はそんな事情で一人で黙々とピークを取っては降りるだけですがそれなりに楽しみもあるものです。
あるスポーツドクターのいうことには40歳過ぎてランニングを始めるのは元気の無駄遣いでむしろハイキングの方が好ましいのだそうです。
本年はスマホを使い始めたのでGPSロガーが使えるようになりました。
使いあぐねていますがそのうち何とかなるでしょう。
そこでここに記録を残す気になった次第です。
草が萌えるまでの期間ですが何座登れるかは不明です。
GPS前にも結構登っているので埋め草はあるのですが・・・。